クリーニング屋のおばちゃん2

以前登場したクリーニング屋に、出していたものを取りに行った。ところが、5点出したうち、1点がどうしても見つからないとのこと。クリーニング屋のおばちゃんの営業が自由過ぎて、伝票に品物をちゃんと書いてなかったことが、この日仇になった。

 

おばちゃん「あれー、ないわねー。何だったか覚えてる?」

自分「えーっと、確かスーツのジャケットだったと思います。」

(おばちゃん、しばらく探す)

おばちゃん「うーん、長いものじゃないわよね。何だったか覚えてる?」

自分「多分スーツのジャケットだったと思います。」

(おばちゃん、しばらく探す)

おばちゃん「折ってあるものじゃないわよねー。ねぇ、ホントに何だったか覚えてない?」

自分「いやだからスーツのジャケ・・・」

おばちゃん「ふぅー、あっついあっつい。」

聞いてねぇな絶対。

 

とりあえずまた別の日に出直すことにした。お客さんも増えたみたいで、預かり物が多くなって忙しいのだろう。長渕剛のカレンダーも4月のままだったし。

 

「急いで探すと見つからないのよね!ごめんね!あとで探しとくわ!」

 

っておばちゃん言ってたけど、伝票番号控えなかったら探せないだろ。でも暖かくなってきたのでジャケットもそんなに急いで必要ないから言わなかった。言っても聞いてないだろうけど。

足の裏の靴ずれ

足の裏が靴ずれでぱっくりむけていた。3cmくらいは開いていた。何か違和感あるとは思っていたけど、そういうことか。早速薬屋で絆創膏を探すことにした。昨年は眼帯探したり、今年は絆創膏探したり、何やってるんだろう。

 

普通のサイズだと傷が収まらないので、特大サイズを探した。パットが5cm幅くらいのものも普通に売っていたので、ありがたく購入した。ひじ・ひざ用って書いてあったけど、足の裏に貼り付けて申し訳ない。サイズ・フィット感は抜群だったので許していただきたい。

甘いティーソーダ

カフェに立ち寄って、ティーソーダを頼んだ。外は割と寒かったのだけれど、歩いていたら暑くなってきたので、もう冷たい飲み物の季節だ。ところでこのティーソーダは店員さんいわく「甘いものが下に沈んでおりますので、かき混ぜてお召し上がりください」とのことだ。何だ甘いものって。そう言われると不安になる。でも「甘い何かが沈んでいる」って言われるよりはいい。

 

とりあえず言われた通りにかき混ぜてみたら、グラスから氷がひとつ飛び出して、カーリングのごとくテーブルを滑って見事床に着地した。今年の氷は活きがいい。そういう問題か。

 

恥ずかしいので早く床の氷が溶けて証拠隠滅してほしい。けれどこのカフェは異常に冷房が効いていて、一向に溶ける気配がない。これもそれも甘いものが沈んでいたせいだ。どうせシロップだろ。たまには浮いてみろ。じゃぶじゃぶ力いっぱいかき混ぜてたら店員さんの視線が気になるのでやめた。甘いものには罠がある。もうこれからは断固無糖。

振り切れ緊張

明日は大事な日だから緊張している。だけど関係ない人にとっては緊張していない日なのだろう。誰かにとって大事な日が、誰かにとってどうでもいい日。緊張している人と緊張していない人が同じ一日を動かしていて、緊張している人はこの一日をもっと慎重に動かしたいのだけれど、緊張していない人が雑に動かしてしまうから、緊張している側から言わせてもらうと心が世界に追いつかない感じ。どうせならこのまま世界が自分を振り切ってくれればいい。そしたら諦めがついて、緊張もしなくなるだろうから。

不合理ラジオ

車を運転しながらラジオを聴いていたら、THE YELLOW MONKEYの「プライマル。」が流れた。懐かしいなぁとかいい曲だなぁとかテンション上がってきたところでトンネルに入ってしまい、肝心のサビが聴こえなかった。そういう時に限って長めのトンネルを何本も通るから、曲が再び聴こえる頃にはもう君がなんか大人になってしまってた。

 

曲を保存して再生でもすれば途中で途切れることもないわけだけど、このご時世にわざわざラジオで電波を気にしながら曲を聴くという不合理さが、逆に人間らしくて落ち着く。周りが合理的に動き過ぎると、不合理な自分の居場所に困る。だから少しくらい不合理なものがそばにいてほしい。

クリーニング屋のおばちゃん

近所のクリーニング屋のおばちゃんがいい意味で自由。

 

営業中は大抵カウンターで編み物をしているか、近所の仲間とおしゃべりしている。休憩時間になると店を閉めて自転車でどこかへ行ってしまう。でもたまに公式の休憩時間以外のときもいない。閉店時間も割とあいまいで、開きたいときに開き、閉めたいときに閉めている。

 

先日行ったら、「スーツは来週から安くなるからまだ出さない方がいいわよ」と始まり、あれもこれもまだ出さないほうがいいと言われ、結局出すつもりの半分くらいの洋服を持って帰ることになった。今時珍しいくらいのおせっかい(いい意味で)。ちなみに店のカレンダーは長渕剛

 

おばちゃんを見てたら、将来クリーニング屋になりたいと思った。周りの大人に将来なりたい職業を尋ねたら、なんて答えるだろう。「珈琲屋のマスター」とか「本屋」とか答えるのだろうか。「野球選手」とか「サッカー選手」とかはきっと出てこない気がする。子供の頃は無心で憧れることが出来たのに、大人になるとそれが出来なくなる。そう考えたらなんか寂しかった。

さよなら解放

ここ1週間で2kgも体重が減った。忙しくてあまり食べていなかったせいだと思うけれど、意外と食べなくても平気だということに気付いたら、食べることから解放されて嬉しくなった。もうそんなに食べることへ時間もお金も使わなくてよいと知って、何だかとても自由になった気がした。

 

でも食べることから解放されたと思えば思うほど、街の飲食店がやたら目についたり、コンビニに吸い寄せられたりする。食を忘れようと意識することが、食を常に意識することになり、本当は少しも解放されていなかった。空へ飛び立ったつもりが足に繋がれた鎖に気付かず、ピーンと地面へ再び引き戻されてしまった。

 

何かから解放されたいと思えば思うほど、それが遠のいていく。忘れようとすればするほど、離れようとすればするほど、意識すること自体が自分をより繋ぎ止めていく。恋愛の話?いや食の話。でもきっとどちらも似たようなものだと思う。